2026-09-29

秋篠宮皇嗣妃殿下が還暦に ―― 36年余りの歩みと、悠仁親王殿下20歳を迎えた秋篠宮家
2026年9月11日、秋篠宮皇嗣妃殿下が60歳のお誕生日を迎えられました。還暦です。報道では「紀子さま」とお呼びすることが多いので、そのお名前で耳にされた方も多いと思います。宮内庁は同じ日に、宮内記者会の質問に対する文書回答を公表しました。質問は三つ。還暦とこれまでの歩み、お子さま方のこと、そして2026年の皇室典範改正です。
2026年のお誕生日は、還暦という個人の節目であるだけでなく、秋篠宮家にとっての節目とも重なりました。 5日前には悠仁親王殿下が20歳を迎えられ、7月には皇室典範が改正されています。そのなかで、妃殿下が今後について書かれたのは、大きな目標でも制度への意見でもありませんでした。「一つ一つのお役目を大切に果たしていく努力」を続けたい、という言葉です。
還暦は「終わり」ではなく「連続」
妃殿下は昭和41(1966)年9月11日のお生まれです。平成2(1990)年6月29日、23歳で秋篠宮皇嗣殿下とご結婚になりました。それから36年余りがたちます。回答は、こう始まります。
再び午年がめぐり、還暦を迎えました。 ――宮内庁「秋篠宮皇嗣妃殿下お誕生日に際し(令和8年)」問1への文書ご回答
1966年は丙午(ひのえうま)の年でした。60年で干支が一巡し、2026年もまた丙午です。注目したいのは、今後の抱負の書き出しです。
宮さまが還暦をお迎えになったときに、それまでの日々との連続性についてお話しになりました。
秋篠宮皇嗣殿下は、前年の2025年に還暦を迎えられました。その年のお誕生日の記者会見(令和7年11月25日)で、殿下はこう話されています。
私個人の中では、時間というのは連続しているものと認識していますので、還暦と言われても、干支(かんし)が一巡したんだなということと、そういう年齢になったんだなという感想があるくらいです。 ――宮内庁「秋篠宮皇嗣殿下お誕生日に際し(令和7年)」
妃殿下は、ご自身の還暦についてもこの言葉を引かれました。還暦を区切りとして何かを終えるのではなく、これまでの延長として続けていく。 回答全体を通して読むと、そういう受け止め方がにじんでいます。
2人から5人へ、そしてまた2人へ
36年の振り返りのなかで、妃殿下は家族の食卓の人数に触れておられます。ご結婚後の食卓と、回答の後半に出てくる今の食卓は、次のとおりです。
結婚して宮さまと2人で囲んでいた食卓が、翌年に眞子、続いて佳子、そして悠仁の誕生で、3人、4人、5人と増えてにぎやかになりました。
そして今は子どもたちが成長し、再び宮さまと2人での食事、2人での散策をする機会が増えてきました。

公的な務めの年表だけを並べると、見えにくくなるものがあります。同じ36年のあいだに、三人のお子さまを育てる時間が流れていたということです。回答には、子育ての具体的な場面が書かれています。お弁当や家族の小物を作ったこと。幼稚園の送迎の道で子供と話したこと。小学校の図書室で本の活動をしたこと。海外訪問で家を空けるとき、留守番の子供たちのために、訪問国についてのクイズ形式の絵本を作ったこと。公務と子育てを同時に抱えた時期が長かったことが、飾らない言葉で書かれています。
36年余りの務め ―― 引き継がれてきた役割
36年余りのあいだに、妃殿下は多くの団体の役職を務めてこられました。宮内庁の「秋篠宮家のご活動」をもとに、代表的なものを挙げると、次のとおりです。
| 役職 | 就任 | 前任など |
|---|---|---|
| 日本赤十字社 名誉副総裁 | 1992年3月 | ―― |
| 結核予防会 総裁 | 1994年4月 | 秩父宮妃殿下が1939年からお務め |
| 恩賜財団母子愛育会 総裁 | 2010年10月 | 三笠宮妃殿下が1948年からお務め |
| 大聖寺文化・護友会 名誉総裁 | 約11年前(回答による) | ―― |
表を見ると、共通点があります。結核予防会も母子愛育会も、上の世代の皇族妃がそれまで長く務めてこられた役を、妃殿下が引き継いでいるのです。もう一つ、宮内庁は次のように説明しています。皇嗣妃のお立場になった令和元(2019)年からは、献血運動推進全国大会にも臨席されるようになりました。それまでは当時の皇太子殿下が臨席し、お言葉を述べられていた大会です。お代替わりにともなって、役割が一段ずつ受け渡されていることが分かります。
「総裁」は名前を貸すだけの役ではない
総裁というと、式典であいさつをする名誉職を思い浮かべるかもしれません。回答を読むと、印象はかなり違います。札幌では、結核予防会が協力する住民健診の会場を見学し、医師・看護師・技師が大型の検診車で道内を回る工夫や、冬の寒さから検査機器を守る方法を聞かれました。能登半島では、地域住民の特定健診に合わせて訪問し、七尾市と輪島市で、健診会場の設営を手伝ったあと、関係者と懇談されています。東京都清瀬市では、結核の歴史を学ぶ「清瀬結核アンバサダー」の中高生の発表を聞かれました。
妃殿下は結核予防会の総裁を30年以上務めておられます。宮内庁によれば、結核にかかわる人々の健康行動をテーマに研究を進め、平成25(2013)年に博士(人文科学)の学位を取得されました。長い年月をかけて一つの分野に関わり続けていることが、この役割の特徴だと筆者は考えます。
「一つ一つのお役目を大切に」
今後の抱負として、妃殿下はこう書かれました。
この度、大きな節目の日を迎えましたが、これまでの積み重ねのもと、天皇皇后両陛下をお支えしながら、一つ一つのお役目を大切に果たしていく努力を続けることができましたら、と思っております。
ここで目を引くのは、「一つ一つ」という言葉です。実はこの言葉は、秋篠宮家の方々の記者会見や文書回答に、ここ数年くり返し出てきます。宮内庁の公表資料を見ると、次のとおりです。

悠仁親王殿下は、成年の記者会見(2025年3月3日)で、成年にあたって家族から掛けられた言葉を尋ねられ、「一つ一つの頂いたお仕事に心を込めて丁寧に取り組むことを大切にするように、と言われることがありました」と答えられました。秋篠宮皇嗣妃殿下は、お誕生日の文書回答(2025年9月11日)で、成年皇族としての悠仁親王殿下に、「一つ一つの務めを大切にし、役割をしっかり担って自分の道を歩んでほしい」と書かれました。秋篠宮皇嗣殿下は、お誕生日の記者会見(2025年11月25日)で、悠仁親王殿下について、「これはいつも同じことを私は言っているように思いますが、出席する場合、その一つ一つを大切に思いながら、丁寧に取り組んでほしい」と話されています。
さらに秋篠宮皇嗣殿下は、パラグアイご訪問前の記者会見(2026年8月13日)で、お子さま方に、「一つ一つの仕事を大切にしながら、自分たちの務めを果たしていってほしい」と話されました。そして秋篠宮皇嗣妃殿下は、お誕生日の文書回答(2026年9月11日)で、ご自身について、「一つ一つのお役目を大切に果たしていく努力を続けることができましたら」と書かれました。ご両親がお子さま方に向けてきた言葉を、2026年、妃殿下はご自身の今後について使われたことになります。
筆者は、この言葉に、皇族の公的な活動の性格がよく表れていると考えます。皇族の公的な活動は、一度の大きな出来事でできているわけではありません。式典に出て、現場を訪ね、人の話を聞き、また翌年も同じ会に出る。その積み重ねが、30年、40年という単位で続いていきます。 結核予防会の総裁が、秩父宮妃殿下から妃殿下へ、半世紀を超えて受け継がれてきたように。「一つ一つ」という言葉は、そうした時間の長さを前提にした言葉だと、筆者は受け止めています。還暦は到達点ではなく、積み重ねの途中にある。回答の最後が「今できることをおこなえたら」と結ばれているのも、その表れではないでしょうか。
母として見た、20歳の悠仁親王殿下
問2では、9月6日に20歳になった悠仁親王殿下について尋ねられています。殿下ご自身の1年の歩み(成年式、宮中行事、広島でのご慰霊など)は、悠仁親王殿下が20歳になられたことを扱った記事で整理しています。回答には、母である妃殿下の目から見た殿下の姿が書かれています。
学生生活を送りながら、宮中での行事や公的な活動も少しずつ務めるようになりました。
「少しずつ」という言葉が選ばれています。広島訪問では「広島平和都市記念碑」への供花と本川小学校平和資料館の見学に触れ、日本スカウトジャンボリーの大集会で初めてことばを述べたことを書かれています。そのうえで周囲への感謝を書かれ、筑波大学での様子についても触れておられます。
周囲の方々に支えていただきながら、経験を重ねていることに感謝しています。
つくばでは、一人の学生として大学での学びや課外活動に取り組み、赤坂に戻ってきたときには、生き生きとした表情でつくばでの様子を話してくれ、充実した生活を送っているように思います。
皇族としての務めと、一人の学生としての生活。 妃殿下の書き方は、そのどちらも大切なものとして並べています。健康についての問いへの回答にも、親子の関係の変化が表れています。
子どもたちが小さかったときは、こちらが世話をする方でしたが、子どもたちが成長した今は、佳子や悠仁が私たちの体調を気にかけてくれます。
親子で臨む公的活動
この1年、親子そろっての公的活動が何度もありました。回答に書かれている主なものを挙げます。佳子内親王殿下とは、2025年10月、「瀬戸内国際芸術祭2025」に関連して香川県を訪問し、離島に本を届ける図書館船を見学して、ボランティアや愛育班員と懇談されました。同じ訪問で国立療養所大島青松園を訪ね、納骨堂で供花、慰霊碑で拝礼し、ハンセン病の歴史について説明を受け、入所者の方々から話を聞かれています。2026年4月には、「がん患者さんが歌う 第九 チャリティーコンサート2026」を鑑賞されました。
悠仁親王殿下とは、2025年11月、伊豆大島へ。デフリンピックのオリエンテーリング競技を観戦し、選手と手話も交えて懇談し、2013年の土砂災害の語り部の話を聞き、慰霊碑に供花されました。2026年3月には北海道留寿都村へ行き、世界スキーオリエンテーリング選手権大会の機会に、子供向けの体験会に参加されています。佳子内親王殿下については、「行事の前に関連する書籍を読んだり展示を見学したりして準備を重ねました」と書かれています。では、親子で活動することにどんな意味があるのか。妃殿下ご自身の言葉は、次の二つです。
同じ場所で経験を共有し、お互いに感じたことを伝え話し合うことによって、新たな気づきがあり、それぞれの活動への向き合い方を深めていくヒントを得ることができるのではないかと思います。
佳子や悠仁の意見を聞いていると、親の私たちが学んだり、教えられたりすることもあります。
回答は、親子の活動を「子供の教育のため」とは書いていません。書かれているのは、経験を共有し、話し合い、親の側も学ぶという、双方向の関係です。
筆者の考えを付け加えるなら、皇族の活動には、式典の作法や人との接し方など、書類では伝わりにくいものがたくさんあると思います。同じ場所に立つことで伝わるものがある。その意味で、親子での活動は、結果として経験を次の世代へ手渡す場にもなっているのではないか。これは筆者の推測であって、宮内庁や妃殿下がそう説明しているわけではないことを申し添えます。
皇室典範改正について、何と答えられたのか
問3は、2026年の皇室典範改正についての質問でした。質問は、改正の受け止めと、お子さま方への説明、将来についての話し合いを尋ねるもので、全文は次のとおりです。
皇室典範が改正され、女性皇族が結婚後に皇室に残ることや、旧宮家から養子を皇室に迎えることが可能となりました。改正についてどのように受け止めていらっしゃいますか。佳子さまや悠仁さまにはどのように説明し、将来について話し合われているのかお聞かせ下さい。
これに対する回答は、全文で3文、85字です。問1への回答が9,000字を超えるのと比べると、際立って短いことが分かります。全文は次のとおりです。
皇室典範が改正されたことを事実として受け止めております。佳子や悠仁には改正されたことを話しました。将来にわたって子どもたちの幸せを願いながら、見守っていきたいと思います。
回答に書かれていることは三つです。改正を「事実として受け止めて」いること。佳子内親王殿下と悠仁親王殿下に、改正されたことを話したこと。将来にわたって子供たちの幸せを願いながら、見守っていきたいと考えていること。
一方、書かれていないこともあります。改正への賛成・反対。旧宮家からの養子の制度や、女性皇族の身分についての評価。お子さま方と将来について何を話し合ったか(質問では尋ねられていたが、回答にはない)。ですから、この回答をもとに「改正を支持された」とも「反対された」とも書くことはできません。短いことも、賛否のしるしとして読むべきではないと筆者は考えます。
秋篠宮家と天皇陛下の答え方
この回答は、単独で出てきたものではありません。改正をめぐっては、天皇陛下も秋篠宮皇嗣殿下も、同じように答え方を慎重に選んでこられました。天皇陛下は、2026年6月11日の記者会見(改正法の成立前)で、「制度に関わる事項については、私から言及することは控えたいと思いますが」と前置きしたうえで、議論が「国民の皆さんの理解が得られるものとなることを望んでおります」と述べられました。
秋篠宮皇嗣殿下は、2026年8月13日の記者会見で、「国会において議論がなされた上で成立したものと受け止めております」としたうえで、「制度に関わることでありますので控えたいと思います」と述べられました。秋篠宮皇嗣妃殿下も、同じ8月13日の記者会見で、「皇室典範の一部が改正されたことは承知しております」と述べ、お子さま方の「幸せな歩み」を願われました。

天皇は憲法第4条により国政に関する権能を持たず、皇室典範の改正は国会が決める事柄です。皇族方については、政治的な発言を法律が全面的に禁じているわけではありません。それでも、制度そのものの評価には踏み込まないという答え方が、陛下・両殿下に共通しています。今回の3文も、その延長にあると読むのが自然だと思います。
なお、改正法は2026年7月17日に成立し、24日に公布され、施行日は10月24日です。質問は「可能となりました」と書いていますが、文書回答が出た9月11日の時点では、新しい制度はまだ効力を持っていませんでした。改正の二つの柱については、皇室典範改正の「2つの案」を扱った記事でも整理しています。改正が皇位継承順位に何をして、何をしなかったのかは、条文にそって確かめた記事で扱いました。
親としての願い ―― 「幸せ」という言葉
問3の回答の最後は、将来にわたって子供たちの幸せを願いながら見守っていきたい、という言葉でした。「幸せ」という言葉も、くり返し出てきます。2025年のお誕生日の回答では、佳子内親王殿下の将来について「彼女らしい生き方、幸せを心から願っています」と書かれました。2026年8月13日の会見でも、「佳子と悠仁が二人それぞれ幸せな歩みを進んでいってほしい」と述べておられます。
今回の改正は、お二人の将来に直接かかわります。女性皇族が結婚しても皇族の身分を離れないのが原則になれば、佳子内親王殿下の将来の選択肢の形そのものが変わります。 秋篠宮皇嗣殿下は8月13日の会見で、報道にもいろいろ出て「私自身もいろいろと考えるところはありました」と述べられました。
制度は、国会が決めます。けれど、その制度のなかで生きていくのは、一人ひとりの皇族方です。「皇族としての責任」と「一人の人間としての人生」をどう両立させるかは、制度を論じる側がいつも意識しておくべき問いだと筆者は考えます。妃殿下の「見守っていきたい」という言葉は、制度への意見ではなく、親としての立ち位置を示したものとして読みたいと思います。
問2では、アメリカで暮らす長女の小室眞子さんについても尋ねられました。妃殿下は、パラグアイを訪れた際、10年前に眞子さんが植えた桜が日本人会館の入り口できれいに咲いていると聞いたことを紹介されています。そしてその直後に、庭の木香薔薇(もっこうばら)を秋篠宮皇嗣殿下と一緒に手入れし、アーチの形を整えたと書かれました。前年の回答には、初孫の誕生にふれて、いつか木香薔薇のアーチがある庭を一緒にゆっくりと歩いたりできたら、と思いをめぐらせる一文がありました。二つの回答を並べると、筆者にはつながって読めます。
還暦を迎えても、学び続ける
回答には、公務とは別の、人となりが伝わる記述も多くあります。手仕事の仲間と、刺繍や機織りをする時間が「大事な時間」だったこと。パラグアイ訪問の前に、伝統のレース編み「ニャンドゥティ」を始めたこと。2026年7月、滋賀県で扇子作りの工房を訪ね、完成までに想像以上の工程と職人の思いがあることを「はじめて知りました」と書かれたこと。防災への関心から、一緒に仕事をする人たちと防災の講習に参加し、宮邸の備品庫を秋篠宮皇嗣殿下と点検したこと。ご結婚後に届くようになった和歌のお題「月次御兼題(つきなみごけんだい)」への詠進が生活の一部になり、今も時間がかかるときがあること。そして、今後の抱負の最後にこう書かれています。
自分自身もまだ知らないこと、新しく学ぶことが多くあるように思います。
これからも新しく学ぶこと、学びを深めること、またクリエイティブな活動にも取り組むことができましたら、そして小さなことでも今できることをおこなえたらと思っております。
60歳で「自分自身もまだ知らないこと、新しく学ぶことが多くある」と書く。皇族だから特別な生活をしている、というより、新しいことを学び続けようとする一人の人の姿が、ここには表れていると思います。若い世代については、清瀬結核アンバサダーの中高生、献血を四コマ漫画で呼びかける高校生・大学生、高校生ボランティア・アワードの参加者などを挙げたうえで、こう書かれました。
この数年、還暦を迎える年齢ということもあるからでしょうか、これからの世の中を担っていく、若い人たちの活躍にエールを送ることにも努めていきたい、という思いを強く持つようになりました。
「若い人に何かを託す」とは書かれていません。エールを送る、です。還暦という年齢が、若い世代に目を向けるきっかけになっていることを、ご自身の言葉で書いておられます。
秋篠宮家の2026年
2026年に秋篠宮家で起きたことを並べると、3月に悠仁親王殿下と妃殿下が北海道・留寿都村をご訪問、5月に悠仁親王殿下が初めて宮中晩餐会に陪席、7月17日に皇室典範等の一部を改正する法律が成立(24日公布、10月24日施行)、という流れです。8月13日には、秋篠宮皇嗣同妃両殿下がパラグアイご訪問を前に記者会見を開かれ、秋篠宮皇嗣殿下は国際親善について話すなかで、こう述べられています。
数十年後を考えると、例えば20年後だとすると、私たちはもう80歳になるわけですね。そうすれば、もうその時代というのは次の世代の人たちになります。
8月18日〜26日には、両殿下が日本人移住90周年の機会にパラグアイをご訪問になりました。9月6日には悠仁親王殿下が20歳に、9月11日には秋篠宮皇嗣妃殿下が還暦になられています。ご夫妻がそろって還暦を迎え、20歳の悠仁親王殿下が成年皇族として活動を始め、佳子内親王殿下は国内外で務めを重ねておられる。秋篠宮家は、次の世代へ役割をつないでいく時期に差しかかっているように見えます。
ただし、これは「誰が何になる」という話ではありません。悠仁親王殿下は皇位継承順位第2位の皇族です。それ以上のことは、制度の上でも事実の上でも、今言えることではありません。
別の見方
筆者とは異なる見方もあります。皇室典範改正について、もっと率直に語ってほしいという声があります。改正は皇族方の人生に直接かかわるのだから、当事者の考えが示されないまま制度が決まるのは問題だ、という考え方です。8月13日の会見でも、記者からそうした趣旨の関連質問がありました。逆に、皇族は制度について語るべきではないという立場からは、今回の短い回答こそ適切だという評価になります。
秋篠宮家の活動や、それをめぐる報道のあり方について、批判的な意見を持つ人もいます。どれも、皇室と国民の関係をどう考えるかという問題につながっています。筆者は、そのどれかに肩入れするよりも、回答に何が書かれているかを大切にしたいと考えます。
筆者の考え
文書回答は、全部で1万字を超えます。その大半は、健診会場の設営を手伝ったこと、高校生の発表を聞いたこと、防災訓練で起震車に乗ったことなど、一つ一つの具体的な場面でできています。ニュースでは、どうしても皇室典範改正への短い回答に注目が集まります。けれど、回答全体を読むと、妃殿下が伝えようとしたことの重心は、むしろ36年余りの積み重ねと、これからもそれを続けていくという意思のほうにあるように、筆者には思えました。
皇族の活動は、目立つ一日だけでは測れません。同じ団体に30年関わり、同じ地域を何度も訪ね、上の世代から受け継いだ役を務め、子供たちと同じ場所に立つ。そうした地味な継続が、皇室の活動の土台になっているのだと思います。皇室は、一人の方だけで成り立っているものではありません。長い時間をかけて役割を受け継ぎ、次の世代へつないでいくものです。2026年の還暦は、妃殿下にとってこれまでの36年余りを振り返る日であり、同時に「これから」を考える節目でもあったのだと思います。
参考・出典
- 秋篠宮皇嗣妃殿下お誕生日に際し(令和8年)|宮内庁 ―― 宮内記者会の質問に対する文書ご回答(令和8年9月11日)。問1〜問3の全文。本記事の引用はすべてこの文書による(別に示したものを除く)
- 秋篠宮皇嗣妃殿下お誕生日に際し(令和7年)|宮内庁 ―― 「一つ一つの務めを大切にし、役割をしっかり担って自分の道を歩んでほしい」「彼女らしい生き方、幸せを心から願っています」
- 秋篠宮皇嗣妃殿下お誕生日に際し(令和5年)|宮内庁 ―― 今回の回答で「令和5(2023)年の誕生日のときにお伝えしましたように」と触れられている回答
- 秋篠宮皇嗣殿下お誕生日に際し(令和7年)|宮内庁 ―― 令和7年11月25日の記者会見。「時間というのは連続しているものと認識していますので」「その一つ一つを大切に思いながら、丁寧に取り組んでほしい」
- パラグアイご訪問に際し(令和8年)|宮内庁 ―― 令和8年8月13日の秋篠宮皇嗣同妃両殿下の記者会見。問2と関連質問への御回答
- パラグアイご訪問(令和8年)|宮内庁 ―― 閣議了解(令和8年7月21日)。8月18日御出発、26日御帰国
- 悠仁親王殿下ご成年をお迎えになっての記者会見(令和7年3月3日)|宮内庁 ―― 「一つ一つの頂いたお仕事に心を込めて丁寧に取り組むことを大切にするように、と言われることがありました」
- オランダ及びベルギーご訪問に際し(令和8年)|宮内庁 ―― 天皇陛下の記者会見(令和8年6月11日)。「制度に関わる事項については、私から言及することは控えたいと思いますが」
- 秋篠宮家|宮内庁 ―― ご略歴。お誕生日(昭和41年9月11日)、ご結婚(平成2年6月29日)、総裁職など
- 秋篠宮家のご活動|宮内庁 ―― 結核予防会総裁(平成6年4月就任・秩父宮妃殿下から)、母子愛育会総裁(平成22年10月就任・三笠宮妃殿下から)、日本赤十字社名誉副総裁(平成4年就任)、献血運動推進全国大会へのご臨席、博士(人文科学)の取得
- 日本国憲法 第4条|e-Gov法令検索
参考書籍
この記事のテーマを、もっと深く知りたい方へ。
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竹田恒泰/Gakken。皇族・宮中祭祀・天皇という存在の本質を総解説。



