2026-09-02

連載「皇室をもっと知る」第6回(全9回)

なぜ伊勢神宮だけが「神宮」なのか

なぜ伊勢神宮だけが「神宮」なのか ―― 天皇だけの社が、国民の社になるまで

日本には8万を超える神社があるといわれますが、「神宮」とだけ呼ばれる社は、一つしかありません。 伊勢の神宮です(正式名称は、ただ「神宮」です)。なぜ、伊勢だけが別格なのでしょうか。「天照大御神を祀っているから」というのは、もちろん理由の一つです。けれど、それだけでは、今の「別格」は説明できません。 伊勢は、かつて「天皇以外は自由に祭祀へ加われない社」でした。その独占が崩れ、国民の社になっていった道のりにこそ、伊勢が特別であり続けている理由があります。


かつて、幣帛を捧げられるのは天皇だけだった ―― 私幣禁断とその理由

今でこそ、伊勢の神宮には誰でも参拝できます。年間の参拝者は数百万人にのぼります。けれど古代は、そうではありませんでした。私幣禁断(しへいきんだん)とは、天皇以外の者が神宮に幣帛(へいはく=神への捧げもの)を奉ることを禁じる決まりです。平安時代の法令集『延喜式』の巻四「伊勢大神宮式」には、こうあります。

凡そ王臣以下、たやすく大神に幣帛を供するを得ず。その三后・皇太子もしまさに供すべきものあらば、臨時に奏聞せよ。 ――『延喜式』巻四「伊勢大神宮式」(原文は漢文。これは一般的な読み下しによる)

読み下すと、皇族や臣下は、勝手に幣帛を捧げてはならない。三后(皇后・皇太后・太皇太后)や皇太子であっても、捧げたいときは、その都度うかがいを立てよ、ということです。さらにさかのぼる『皇太神宮儀式帳』には、より厳しい言葉が残っています。

王臣家ならびに諸民、幣帛を進めせしめず。重ねて禁断す。 ――『皇太神宮儀式帳』(同じく読み下しによる)

皇太子ですら、自由には捧げられません。 これがどれほど徹底したものだったかは、この二つの条文から伝わると思います。では、なぜ禁じたのか。理由は、伊勢の位置づけにあります。伊勢の神宮に祀られているのは、天照大御神――皇室の祖先神です。そこでの祭祀は、天皇が国と国民のために行う公の祈りであり、個人の願いごとを持ち込む場ではありませんでした。

もし誰もが自由に幣帛を捧げられれば、伊勢は「ご利益を願う社」になってしまいます。それは、皇祖神を祀る場のあり方とは違います。制限は、排除のためではなく、祭祀の性格を守るためだったと理解するのが正確です。前回まで見てきた、神器を見せないことや、遷宮の理由を書き残さないことと、どこか通じています。限定することで、性格を保つ。 皇室にかかわる場所や物には、しばしばこの形が現れます。

私幣禁断 ―― 誰が捧げられたか


御師とおかげ参りが、禁令を崩していった

しかし、この決まりは永遠には続きませんでした。平安時代の末期になると、律令制がゆるみ、各地に荘園が生まれます。国家が祭祀を一手に担う体制そのものが、揺らいでいきました。そこに現れたのが、御師(おんし)です。神社本庁は、御師についてこう説明しています。

平安時代の末期、伊勢の御師(おんし)と呼ばれる祈祷師が、全国各地で祈祷を行い、その印として「御祓大麻(おはらいたいま)」を頒布したことに始まります。……御師は伊勢の神宮に奉仕する神職でもあり、全国からの参詣者の案内や神楽奉奏、宿泊の提供なども行い、全国の崇敬者との橋渡しとなっていました。 ――神社本庁「神宮大麻」

伊勢では「おし」ではなく「おんし」と読みます。神宮に仕える神職でありながら、全国を歩き、個人の祈祷を受け付け、お札を配りました。 つまり、禁じられていた「私の祈り」を、神宮の側から届けにいったのです。制度としての私幣禁断は残りながら、実態としては、伊勢は庶民に開かれていきました。

そして江戸時代、それは爆発します。おかげ参り(御蔭参り)と呼ばれる、伊勢への集団参詣です。およそ60年ごとに大きな波が起きたと伝えられ、なかでも慶安3年(1650年)、宝永2年(1705年)、明和8年(1771年)、文政13年(1830年)の4回が知られています。

なかでも文政13年は桁違いでした。阿波国(徳島)の子供たちの「抜け参り」をきっかけに人が動きはじめ、8月末までの数か月で、参宮者は約500万人に達したと伝えられます。当時の日本の人口はおよそ3000万人で、単純に見れば、6人に1人が伊勢を目指した計算になります。日本史上でも例を見ない規模の大移動でした。

これを支えたのは、庶民自身の仕組みです。伊勢講(いせこう)は、旅費を積み立て、くじ引きで代表を決めて参拝させる仕組み(代参)で、施行(せぎょう)は、街道沿いの町が参宮者に食事や宿を無償で提供するものでした。かつて皇太子ですら遠慮した社に、名もない人々が列をなして向かった。伊勢の性格は、ここで大きく変わりました。

「天皇だけの社」から「国民の社」へ


明治5年、全国の家庭へ

おかげ参りで庶民に開かれた伊勢は、お札の面でも全国の家庭へ広がっていきました。御師による頒布は、どれほど広がっていたのでしょうか。神社本庁は、こう記しています。

江戸時代後期には、全国の世帯の約九割が御祓大麻を受けていたと考えられています。 ――神社本庁「神宮大麻」

十軒のうち九軒です。私幣禁断の社のお札が、そこまで行き渡っていたことになります。そして決定打となったのが、明治5年(1872年)の出来事でした。

この伊勢の御師による「御祓大麻」の頒布は、明治維新後の制度改革により廃止されましたが、明治天皇の思召しにより、明治五年、皇大神宮拝礼のための大御璽である神宮大麻として、神宮より直接、全国民の家々に漏れ落ちることのないよう頒布されることとなりました。 ――同上

前回の式年遷宮で、造り方を変えさせなかったのも明治天皇でした。守るところは守り、開くところは開く。 同じ時代に、両方が起きています。その仕組みは今も続いていて、神社本庁は「後に数度の変遷を経て、現在は全国の神社を通じて頒布されています」としています。家のなかでの置き場所も決まっており、かつて「天皇以外は幣帛を捧げてはならない」とされた社のお神札は、今、全国の家の神棚の、まん中にあります。

三社造りの宮形では、中央に日本人の総氏神さまである伊勢神宮のお神札(神宮大麻)を、向かって右に地元の氏神さまのお神札を、向かって左に崇敬している神社のお神札をお納めします。 ――神社本庁「お神札のまつり方」

今、伊勢はどこにあるか


格付けの外側にいる「本宗」

現在、全国の神社は伊勢の神宮を本宗(ほんそう)と仰いでいます。ただ、伊勢は「神社の格付けの頂点」というより、格付けそのものの外側にいます。他の神社と並べて順位をつける対象ではない、という扱いです。神社本庁は、みずからの由来を次のように記しています。

神社本庁は伊勢神宮を本宗と仰ぎ、昭和21年に設立されました。 ――神社本庁「神社本庁のご案内」

伊勢は、序列の頂点というより、序列を超えた基準点のような存在と言ったほうが近いかもしれません。天皇に姓がないのと、少し似ています。 氏の外側に立つ存在であるように、伊勢もまた、社格の外側に立っています。


伊勢の歩みをめぐる三つの見方

伊勢の歩みについては、いくつかの見方があります。一つは「開かれてよかった」という見方で、庶民に開かれたからこそ信仰が生き延び、明治以降も全国の家庭に根づいた、という評価です。もう一つは「性格が変わってしまった」という指摘で、本来は国家の祭祀の場であり、個人の願いごとの対象になったことで、古代の姿からは離れた、という見方もあります。

三つ目は「明治の頒布は国家神道の一環だった」という批判で、神宮大麻の全国配布を、近代国家による信仰の組織化として捉える立場です。戦後、神社本庁による民間の頒布に切り替わった経緯も、この文脈で説明されます。いずれも事実にもとづいた議論であり、どれか一つが正しいというものではありません。


独占をやめても、特別さが薄れなかった理由

筆者は、この歴史で一番面白いのは、独占をやめたのに、特別さが薄れなかったという点だと思います。普通、限られた人しか近づけないものが誰にでも開かれれば、ありがたみは下がります。ところが伊勢は逆でした。開かれたあとのほうが、日本人にとって身近で、かつ特別な場所になった。 なぜでしょうか。筆者は、祭祀の中心が動かなかったからだと考えています。

庶民が押し寄せても、御師が祈祷を受けても、神宮の中心にある祭祀――天皇が国と国民のために祈るという構造――は、変わりませんでした。 遷御の日時をお定めになるのは、今も天皇陛下です。周辺がどれだけ開かれても、芯は動かなかった。だから、開いても薄まらなかった。 芯が定まっているものは、外に広げても壊れないのだと思います。

今、神棚に神宮大麻をお祀りしている家庭のうち、私幣禁断を知っている人は、ほとんどいないでしょう。それでいいのだと思います。知らないまま受け継がれているものがある――この連載で何度も出会ってきたのは、いつもその形でした。そしてそれこそが、神宮が千年以上「特別」であり続けられた理由なのかもしれません。


次回

伊勢の神宮は、こうして国民に開かれていきました。けれど皇室の祈りには、今もまったく開かれていない領域があります。皇居のなかで行われる祭祀です。次回・第7回は、「なぜ宮中祭祀は非公開なのか ―― 皇室の祈りが静かに続けられる理由」。報道もされず、写真も残らない祈りが、なぜその形を保っているのかを考えます。


参考・出典

※『延喜式』『皇太神宮儀式帳』の引用は一般的な読み下しによるもので、原典の画像・翻刻をオンラインで確認できていません。おかげ参りの回数・人数、神社の総数についても、公的な統計にはあたれていないため、断定を避けています。